| 栗原 草 |
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翌朝秀人が起きていくと、居間では父が朝食を前にして新聞を広げていた。そうして少しめがねをはずし、右手で眉間をもんでいる彼に、秀人は声をかけてみた。 「おはよう、父さん。……疲れてるの?」 「おお、秀人か。おはよう」 そう言って父はめがねを戻し、秀人の顔を見て弱々しく笑った。 「最近、会社でトラブルが続いてな。昨日も、だいぶ帰りが遅くなった。秀人はもう寝たあとだったな。……夕飯、一緒に食べれなくて悪かったよ」 「……ううん、仕事忙しかったんでしょ? 仕方ないよ」 「ごめんな」 父はもう一度あやまって、新聞に目を戻した。 「秀人。早くご飯持ってって食べなさい」 台所から、母がよく通る声をあげた。彼女は毎朝、家族の誰よりも早く起きて朝食と夕食のぶんのおかずを準備している。それから仕事に行って、帰ってからは洗濯やら何やらを済ませて。そんなことを年中無休でくりかえしているのだから、母というのはたいしたものである。それでも仕事が忙しいときには、父や秀人に手伝いを頼むこともあった。そんなとき、夕食はたいてい出前になる。 秀人は台所まで行って自分のぶんのご飯と味噌汁を運んだ。テーブルの上には、すでに卵焼きと小松菜、それからウインナーの皿が並べられている。 「いただきます」 改めて感じた母への感謝をこめて、彼は手を合わせた。 「あら、めずらしいわね。手まで合わせちゃって」 そんな秀人に対してからかうような口調で言った母だったが、その顔はうれしそうだった。 「今日は母さん、早く帰れると思うから。夕飯、一緒に食べられるわよ。……ね、お父さんは?」 「ん?」 急に話をふられた父は、新聞から顔を上げてきょとん、という顔をした。 「今日も遅いの?」 「……ああ、昨日のトラブルの処理がまだ残って…………いや、でも、なるべく早く帰るようにするよ」 「仕事、そんなに大変なの」 「まあな」 「あまり無理しないでよ?」 「母さんこそ」 言われて、母は肩をすくめるとエプロンの裾で手を拭いた。それから自分のご飯と味噌汁を持って居間までやってくる。 「いただきます」 母は手を合わせて、いたずらっぽい笑顔で秀人を見た。 「あいさつは大事ね。……学校でも、給食のときはちゃんとあいさつしてるんでしょう?」 「うん……」 秀人は気の乗らない声で返事をした。今はまだ、あまり学校のことを聞いてほしくない。 「そういえば秀人、給食当番はいつなの? こないだみたいに、前の当番の人が給食着洗ってなかった、ってことがあったら、ちゃんと教えるのよ? すぐに洗ってあげるから」 「……うん、わかった」 うなずきながらも、秀人は内心ひやひやしていた。前に辰巳たちが秀人の給食着を取りあげて、袋ごと投げ回したあげくに中を取り出しゴミ箱へと押しこんだとき、秀人は給食着が汚れている言い訳として、前の当番が洗い忘れたのだとうそをついたのだ。昨日の母の様子といい、今の言葉といい、母が何か感づいているのではないかと、実は、これまでのうそのすべてが見抜かれているのではないかと、そう感じられて気が気ではなかった。 「……あれ?」 先に食事を終えた父が、ふいに声をあげた。 「どうしたの?」 秀人が尋ねると、父はソファーの後ろにかけていた背広の上着を取り出して、困ったような顔をこちらに向けた。 「この上着、ズボンと違うのを持ってきたみたいだ」 言われてみると、彼がはいているズボンとその手に持つ上着とでは、確かに色や模様が違っていた。 「僕、父さんの部屋に行って交換してくるよ」 「わかるか?」 「うん、大丈夫」 うなずいて、秀人は父の手から背広の上着を受け取った。 二階にある父の部屋は、秀人の部屋とは反対で東向きの窓がついている。ドアを開けた途端に、朝の陽光が目をさすほどにまぶしかった。 目が慣れてくると、彼はクローゼットの脇の壁へと視線をやった。そこに、ズボンのさがったハンガーがかけてある。どうやら、秀人が持ってきた上着と組になるものらしい。そしてベッドの上に、探しものの上着が無造作に置かれていた。 やっぱり父さん、疲れてるんだな……。 そう思って、秀人は部屋をぐるりと見回してみた。 性格の違いというのもあるだろうが、父の部屋は、母の部屋とは違って少し散らかっていた。仕事机の上に書類やらファイルやらが山積みになっていて、本棚から取り出した本は戻されずに床の上へと積み上げられていた。 秀人はそれらをよけてベッドまで近づき、その上にある上着と持ってきた上着を交換した。そのとき、何か紙切れのようなものがひらひらと床に落ちた。 今のって、もしかして……。 緊張が訪れた。秀人は、ベッドの下に入りこんでしまった何かを拾うため、身をかがめて床に手をはわせた。何か薄くてかたい感触のものが、その手に当たる。 ……やっぱり。 間違いなく、それはトランプだった。取り出して、すぐに表を確認してみる。 ――――クラブの5、だ。とりあえずこれでまた、手札が一枚集まった。 手にしたトランプをみつめる秀人は、トランプが見つかる場所には何か法則性があるということに、そろそろ気づき始めていた。 * * * 登校中も、秀人はトランプを求めて周囲に目を光らせた。ただし昨日の帰りとは違って、草陰や電柱の陰などにはもはや目もくれない。注意深く見ているのは、もっぱら動物の姿――とりわけ、人の姿だった。 これまでに見つかったカードは、スペードの3を例外にすると、すべて「動くもの」によって秀人の元へと運ばれてきた。始めは猫が首輪にはさんで。次は、母がかばんに忍ばせて。それからさっきは、父が背広のポケットに隠し持っていた。これらのことから、秀人はこう考えてみることにしたのだった。 魔法使いがばらまいたトランプは、「どこかにある」のではなくて、「誰かが持っている」のではないか、と。 どれも似たような家々が建ち並んだ住宅街を、さまざまな人たちがゆきかっている。秀人と同じようにランドセルを背負った小学生、制服に身を包んだ中学生、ネクタイをしめたサラリーマン、玄関先に立つおじいさん……。すれ違うたびに、彼らのかばんやポケットをそっと盗み見た。けれど、あのしゃれたトランプの姿はなかなか見つからない。 道を曲がったところで、右側にブロック塀が現れた。その上を、昨日のトラ猫がすたすたと通り過ぎていく。思わずその赤い首輪に目を走らせた秀人だったが、当然のようにトランプははさまっていなかった。 ……やっぱり、二度目はない、か。 期待する気持ちが少しでもあったために、彼はいらなく失望を味わうことになった。 それからまた、少し歩いた。気がつくと、昨日の帰りにスペードの3を拾った場所までやって来ていた。四年と数ヶ月、登下校ですっかり見慣れた道なのに、なんだかいつもと違う場所のように思えた。 夕方になったら、この場所で、あの魔法使いと大富豪のゲームをやるんだ。どうしても勝たなくちゃ。 秀人はポケットに手を入れて、今までに集めたトランプを取り出してみた。 スペードの3、ダイヤの5、ハートの7、クラブの5。5のカードが二枚ある。けれどこんなに弱いカードでは、二枚あったところでほとんど役に立ちそうもない。 このままもう、新しいカードが見つからなかったらどうしよう……。 そう考えた途端、いっきに不安が押しよせた。 もし、この手札のままゲームに望むことになって、そしてもし、負けてしまったら。このチャンスを逃したら、きっともうあとはないだろう。秀人はきっと卒業するまでいじめられて、そしておそらく、中学に入学してからもまたいじめられるのだ。もし、そんなことになってしまったら……。 悪いことは、考え始めるときりがない。秀人はその考えを振り払おうと、再び道ゆく人々へと意識を集中させた。 目の前を歩いていたのは、スーツを着た若い男の人だった。両耳からイヤホンのコードが垂れて、上着のポケットへとのびている。彼は何か書類のようなものを手にしていて、熱心に目を通しているようだった。 それから左側に目をやると、自転車に乗った女の人が秀人を追いこしていくところだった。制服に身を包んでいるので、おそらくは高校生だろう。こちらもイヤホンで耳をふさいで、何か音楽を聴いているようだった。 今度は振り返って、後ろを確認してみる。少し離れたところに、小学一、二年生の集団が見えた。手をつないで笑い合ったり、ひとりが突然走り出したり、あるいは立ち止まって草をむしったり。ぎゃあぎゃあ騒いでいる声に興味をそそられて、秀人は少し耳を澄ませてみた。 そこへ、突然大きな音が聞こえてきた。どきり、と飛び上がって前に向き直ってみる。 それは警報機の音だった。いつのまにか、踏み切りの前に来ていたのだ。見てみると、先ほどの高校生が、降りてくる遮断機の下を自転車でくぐっていくところだった。 危ないなぁ……。 手前で立ち止まった秀人は、そこでひとつの異変に気がついた。すぐ目の前にあったはずのスーツ姿が、降りてきた遮断機の向こう側に見えたのである。 「危ないっ――」 耳と目の両方がふさがった状態の男の人は、自分が置かれている状況を、すぐには理解できずにいるようだった。線路の上で立ち止まり、自分を取り囲んでいるあざやかな遮断機を、不思議そうな顔でながめていた。 ――――大変だ、このままじゃ……! 気がつくと、秀人は遮断機をくぐっていた。めいっぱいの力をこめて男の人の腕をつかみ、踏み切りの外に向かって引っ張った。 「うわっ!?」 突然腕を引っ張られた男の人は、バランスを崩して二、三歩秀人のほうへとよろけた。その拍子に、持っていた書類が手から落ちる。近づいてくる電車の気配と、徐々に大きくなる車輪の音。男の人はようやく危険に気がついたようで、秀人を抱きかかえると、そのまま遮断機めがけて倒れこんだ。 電車が来たのは一本向こう側の線路だったが、秀人たちはそれが通り過ぎるまで身動きひとつできなかった。二人の上を、強い風が吹き抜けていった。 「…………君、怪我はない?」 男の人が、イヤホンを耳からはずして声をかけてきた。秀人は立ち上がり、ズボンのひざを払ってみた。少し痛みがあったものの、おそらくただのすり傷だろう。よけいな心配はかけまいと、彼は男の人に向かってうなずいてみせた。 「大丈夫です」 「なら、よかった」 男の人は、立ち上がってスーツの状態を確認した。秀人をかばったせいか、ひじやひざの辺りが目立って擦れている。 「あの……」 「いや、ありがとう。君には、怖い思いさせちゃったな……」 秀人たちの様子を、後ろから来た一、二年生の集団が驚いた顔で見ていた。そのうちのひとりが踏み切りの半ばまで歩いていって、男の人の書類を拾った。ホチキスか何かでまとまっていたらしく、バラバラにはなっていなかった。どうするのかと思って見ていると、彼女はちゃんとそれを持ち主まで届けに来てくれた。 「ありがとう」 男の人が受け取った書類にはさまって、えんじ色をした唐草模様の紙切れが顔をのぞかせているのに気がついた。秀人はあせる気持ちを抑えつつ、男の人に尋ねてみた。 「あの、そのトランプは……」 「ん?」 彼は秀人の視線を追って、書類にはさまるトランプを見た。 「これ、君の?」 「あ……はい、まあ」 あいまいにうなずくと、彼はトランプを引き抜いて秀人に渡してくれた。少し不思議そうにしていたが、深く聞くつもりはないらしい。 「じゃあ……僕は、これで。ほんとにありがとう、助かったよ」 まだあまり地に足着かない様子のまま、男の人は踏み切りを渡って去っていった。それを見送ってすぐ、秀人は手の中のトランプに目を落とした。 ――――クラブの、キングだ。 秀人は今、自分の胸のどきどきが、ついさっきの救出劇の興奮からきているのか、それともやっと強いカードが手に入った興奮からきているのか、そのどちらとも判断がつかなかった。 * * * 「今日の日直は、野田くんと相原(あいはら)さんです。よろしく」 担任の中井(なかい)美紀子(みきこ)は、そう言って黒板の日づけの下に秀人と一恵(かずえ)の名前を書いた。今日が日直当番であるということを、秀人はすっかり忘れていた。 日直当番は、名簿順に男女のペアで組まされる。やるべきことは三つあって、ひとつは授業の開始と終わりに号令をかけること、もうひとつは授業のあとに黒板の字を消すこと、それから最後は、一日の終わりにその日の出来事を日誌に書いて先生に渡すことだ。これらのことを、ペアになった人と分担して、あるいは協力し合ってやらなければならない。 「じゃあ、日誌は……相原さんに渡しておくわね」 中井先生は、前の席に座っていた一恵に日誌用の赤いファイルを手渡した。そのあといくつか連絡事項を述べてから、彼女はいったん教室を出ていった。一時間目が始まる前に、済ませておくべき用事があるらしい。 先生がいなくなると、教室は途端に騒がしくなった。あちこちに輪を作っておしゃべりを始める女子たちや、教室の後ろでボールを蹴り始める男子たち。そんな様子をぼんやりとながめていた秀人は、あるグループが黒板へと近づいていくのに気がついた。辰巳たちだ。彼らはにやにや笑い合って、何度も秀人に目を向けてくる。秀人は後ろの席に座っていて、黒板のそばにいる辰巳たちからは十分な距離があった。それでも彼は、いじめっ子たちにまた何かされそうな気がして居心地が悪かった。 そのうちに、辰巳がチョークを取って黒板に落書きを始めた。描いているのはマンガのキャラクターか何かで、それを合図にグループの全員が同じような落書きを始めた。そうしながらまた、にやにやと秀人の顔を見てくるのである。 あれは明らかに、日直である秀人が黒板を消しに来るのを待ち構えているのだった。消しにいったところで、今度は秀人を取り囲んで新しい遊びを始めようとしているに違いない。 その手にはのるもんか。 どうせ落書きをしていて怒られるのは辰巳たちのほうだ。そう思って手をこまねいているところへ、ひとりの女子が黒板の近くに現れた。日直は、秀人だけではなかったのだ。 「倉橋くん、そろそろ授業始まるから、黒板消してもいい?」 一恵が、辰巳の背中に声をかけた。 「あ? ああ、すぐやめるって」 そう答えて、彼はおもむろに黒板の右端まで歩いていった。それから嫌な笑いを秀人に向けて、日づけの下にチョークで何やらつけたした。 「気が済んだ。日直さん、あとはよろしく」 わざとらしい声でそう言って、辰巳は仲間たちと一緒に黒板から離れた。いったい何を描いたのかと、先ほどまで辰巳の背中で隠れていた場所に目をやった。 それは相合傘だった。一恵が勢いよく黒板消しをすべらせる一瞬前に、秀人と一恵の名前の上にハートのついた傘が描かれているのが目に入った。一恵は怒ったような顔をして、黙々とほかの落書きも消していった。 秀人は、どうしたものかと考えた。今のことで嫌な思いをしたのは、自分よりむしろ一恵のほうだろう。クラスメートの何人かは、今の落書きを見ていたはずだ。クラス公認のいじめられっ子なんかと相合傘を描かれて、そのことでまわりから冷やかしを受けるなんて最悪なことに違いない。 もう一度、一恵をそっと盗み見た。彼女は、クラスの中でも秀人に対して好意的なほうだった。こうして一緒に日直をやることになっても嫌な顔ひとつしなかったし、そのまま何もなかったら、仕事の割り当てを決めるときにもふつうに接してくれていたはずだ。それがこんなことになってしまって、これからは、彼女もきっと秀人を避けるようになるだろう。 辰巳のやつ、とことん僕を孤立させるつもりだな。 そのことに気がついて、秀人はすぐにでもいじめっ子たちに殴りかかっていきたい気持ちになった。けれどこちらはあまり体力に自信がないうえに、むこうはバスケ部やサッカー部ばかりが五、六人も集まっている。殴りかかりにいったところで、逆にボールみたいにあちこちと回されるのが落ちだろう。勝てるはずがない。今は、まだ。 「野田くん……あの、さっきの、見てた?」 急に天から声が降ってきて、秀人は驚いた顔を上げた。そうして目の前に赤いファイルを抱えた一恵が立っているのに気がつくと、彼はますます驚いた。 「へ?」 情けない声をあげた秀人に、一恵はうつむいてこう言った。 「だから、さっき……高橋くんがわたしたちの名前の上に描いてた落書き……」 「ああ、うん……あの、ちらっと見えた」 「……わたし、すごく嫌な思いをしたわ」 わざわざそんなことを言いに来たのかと、秀人は一恵に腹がたった。そんなことは、言われなくたってわかってる。いじめられっ子なんかと相合傘を描かれて、しかも今日一日は一緒に日直当番までやらなきゃいけないなんて、迷惑もいいところだろう。 「だったらもう、僕なんかに近づかないほうがいいよ。さっきのことでまわりに冷やかされて、また嫌な思いするだけだから」 実際、窓際では辰巳たちが集まってこちらに冷やかしの目を向けていた。わざと聞こえるように、「やっぱり」とかどうとか言っているのが耳まで届く。 「……あんな人たち、放っておけばいいのよ」 それに対して発せられた一恵の言葉に、秀人はまたわけがわからなくなった。彼女はいったい、何が言いたいのだろう? 「わたしね、さっき……自分が嫌な思いをしてようやく気づいたの。いじめって、絶対に許せないわ。……あの、今までも気になってはいたんだけど……なんだか見て見ぬふりしちゃってて、ごめんなさい……」 突然のことに、秀人はどうしていいかわからなかった。確かに一恵は、今まで秀人へのあからさまないじめに対して、同じ教室にいながら見て見ぬふりを決めこんでいた。だが、それはクラスのみんながしていることだ。むしろ秀人を意識して避けるような人すらいる中で、ふだんから嫌がる様子もなく接してくれていた彼女が、こんなふうに面と向かってあやまってくるだなんて。しかも、自分がいじめのまきぞえをくって嫌な思いをしたあとに。もし秀人が彼女の立場だったら、こうしてあやまることなどできなかっただろう。 そう考えると、秀人はなんだか急に自分が恥ずかしくなった。日直当番だったのに、何かされるのではないかと恐れて、落書きをしている辰巳たちのところへ黒板を消しに行かなかったこと。嫌なことをされたのに、殴りかかるどころか抗議のひとつもせずに、怖気づいて根が生えたようにだまって机に座っていたこと。わざわざあやまりに来てくれた一恵を、誤解して一瞬でも嫌なやつだと思ってしまったこと。 「あの……僕のほうこそ、ごめん」 「え?」 「僕のせいで、相原さんにまで嫌な思いさせちゃって……」 「ううん、野田くんは悪くないでしょ。悪いのは高橋くんたちだわ」 「まあ……そうだけど。でも、ごめん」 「野田くんは、あやまらなくていいのよ」 一恵は笑って、日誌の赤いファイルを差し出した。 「これ、野田くんに任せるわ。いじめのこと、ちゃんと書いて先生に知らせたらどうかしら。そのことでまたいじめられても、今度はわたし、見て見ぬふりなんかしないで立ち向かうから。約束する」 彼女の目は、真剣だった。秀人はその手から日誌のファイルを受け取った。 「ありがとう」 そこへ、何か赤っぽい紙切れがひらひらと机の上に落ちた。 「これ……」 一恵が拾いあげてしげしげとながめているのは、二匹のドラゴンがえがかれた魔法使いのトランプだった。 「そのトランプ、なんのカード?」 秀人が尋ねると、一恵は不思議そうにしながらも答えてくれた。 「ハートの5、だけど……どうして?」 「また5、か」 「……また?」 「ううん、何でもない。それ僕のだよ。一枚だけなくしちゃって。こんなところにあったのか……」 「そうだったの」 秀人は、一恵の手からトランプを受け取った。いじめに立ち向かうと言ってくれた彼女にうそをついてしまって、秀人の胸はチクリと痛んだ。 |