懸命 後編
葉月野 御影


 その頃ユウはヴィーシュを引きつれ、街道を東へ、馬に乗って走っていた。馬は逃げた主人に置いてけぼりにされたやつだった。
「ついてくるなって言ったろ」
 ユウは怒りも露わに言う。ヴィーシュにはソニカと一緒に逃げるようにと、怒鳴るように強く言ったのに、完璧に無視されていたのだ。高い声が頭の中に直接響いた。相変わらずの片言だった。
――ヤダ、イッショイク。
 ユウは舌打ちし、更に馬の足を速めさせた。
 ゴレアノさんがまさか死ぬなんて。こんなことして、俺も死ぬのかな。……嫌だ、怖い。でもこうしないと、ソニカが……。
 あれは何かよくないこと、少なくともユウにとってはそうであることを考えている目だった。
 日が西に沈む頃、夜の闇と共に一つの巨大な影が東の空から飛んできていた。大きな翼を持った巨大な体。黒い背景に鮮烈に浮かび上がる二つの紅眼。まさしくドラゴンだった。ユウは声の限りに叫んだ。
「止まれ! 止まってくれ!」
 気づいたらしく、ドラゴンは急降下して来た。かなりでかい。まるで山がそのまま空を飛んでいるようだ。
 地鳴りを起こしながら、千年の時を経た大木のように太い四本の足で着地する。馬が恐ろしさのあまりユウを振り落として逃げていった。ユウはすぐに立ち上がり、怯えを押さえ込んでそのドラゴンと向かい合う。
 目が赤く、角と爪と歯が白い以外は、体の真っ黒なドラゴンだった。口から呼吸のたびに熱そうな炎が僅かに漏れている。よく見ると体の所々に剣や矢が刺さっていた。その多くの傷の中で二、三箇所だけかなり大きな傷があり、赤黒い肉が露出していた。ゴレアノや勇敢な人物の功績なのだろう。
 頭が痛くなるような重い感じの声が、ユウの頭の中に響く。声の主の知能が高いためだろう、鮮明な声に聞こえた。しかしそれは、ユウの能力を超えているため、ひどい頭痛を伴った。
――何の用だ。我は忙しいのだ。
「止めろよ! 何でこんな、町を襲ったりしてるんだ!」
 ユウは痛みに顔をゆがめ、体を震わせながらも気丈に言った。
――我が怒りを晴らすため。それ以外に人を殺める意味などはない。
「怒り?」
――我のいぬ間に貴族とかいう痴れ者共が己の欲望のままに我が子を殺めた。我らの血を幾ら飲もうが不老の力などは得られぬというのに。
 ドラゴンの声が震えている。それが抑え切れぬ怒り故であることは容易にわかった。だからと言って、していることを許す理由にはならない。
「だからって、関係のない人まで巻き込むことはないだろ!」
 ドラゴンはユウの頭の上で威嚇してくるヴィーシュを一瞥した。鼻から一度、強く息を出す。
――人の物差しで我らをはかるな。我の怒りが治まるその時まで、我は我の仇を討ち続けるのみ。それこそが我のなせる我が子への手向け。同胞に好まれ、同胞を慈しむ人の子よ、去ね。我の時を無為に過ごさせた罪は不問としてやる。
 ドラゴンは翼を打ち振るわせた。豪風が吹き荒れ、巨体が浮き上がる。
「待て! 行くな! もうやめろ!」
 優雅そうがなった瞬間、左の翼が爆発した。バランスを崩し、黒い体が落ちて地面を揺らした。
「ユウ兄大丈夫?」
 叫ぶような声を聞いてユウが後ろを振り返ると、ソニカが地面に降り立った。ユウは驚愕して怒声を発する。
「バカ! 何で来た!」
「ユウ兄こそ何で逃げなかったの! ユウ兄にどうにかできるわけないでしょ!」
――人の子か。
 ドラゴンはすぐに身を起こした。翼の傷は表面が少し焦げた程度で、傷と呼ぶにもおこがましいものだった。
 口から漏れる炎の量が倍以上になっていた。恐ろしい気配が辺りに満ちる。ドラゴンの放つ殺気だ。空気が張り詰めて、重くなったように感じる。ユウは呼吸をすることさえも苦しく思った。
――あの老いぼれと違って修練不足だな。その程度に我に歯向かうとは……愚か也。
 ソニカは浮遊術で飛んだ。ドラゴンの攻撃がユウに当たらないようにするためだ。それを追うようにドラゴンは炎を吐いた。暗くなった空を舐めるように赤い帯が広がった。
 今度はソニカが魔法の火球を再びドラゴンの翼に投げつけた。爆発するが、やはり漆黒の鱗の表面が焼け焦げただけだった。
 ドラゴンが翼を操って飛び上がり、巨体から想像もできぬ高速で回転して尻尾を振るった。尻尾はソニカを直撃する。ソニカは吹っ飛び、文字通り墜落した。
――さらばだ、人の子よ。
 ドラゴンは翼を力強く動かし、西へと飛んで行った。ユウはピクリともしないソニカの元へ走り寄って抱き起こした。
「ソニカ!」
 何度か呼びかけると、ソニカはゆっくりと目を開けた。魔法で衝撃を緩和して、辛うじて致命傷を避けていたのだ。
「ユウ兄、無事だったんだ。よかった」
 そう言うと、痛みに耐えてのろのろと立ち上がる。右手はありえない方向へ曲がった左肘に添えられている。倒れそうになったのをユウが支える。
「無理するな。俺が何とかするからお前はもう逃げろ」
 ソニカは場違いなほど大声で笑った。ユウが呆然としていると、笑い声は激しい咳で止まった。口に当てられた手がどろりとした液体に濡れていた。
「バカ言わないで。ユウ兄なんかじゃ二秒も持たないわよ。――ユウ兄、ドラゴンはどっちに行った?」
「に……、北だ。急に方向を変えたんだ」
「そういう嘘、今は全然嬉しくないよ。……でも、ありがと。それじゃ私は行くね。バイバイ、ユウ兄。ついて来ないで、ちゃんと逃げてね」
「どういう意味だよ。バイバイって何だよ。行かせないぞ! 俺はこれでもお前の兄貴だ! みすみす死なせになんか行かせない!」
「魔法は、平穏な世界を作るためにあるって、前に先生は言ってた。先生はそのために、精一杯のことをやった。だから私は行くの。一生のお願いだからさ、ユウ兄、私に出来るだけのことをやらせて。私は後悔したくないの」
 ソニカは風を起こし、しがみつくユウを無理矢理自分から離れさせ、空に浮き上がった。ユウはバランスを崩し、しりもちをつく。ソニカの大きな目からこぼれた透明な雫が、静かに地面を濡らす。
「ヴィーシュ、お願い、力を貸して。あなたがいないとダメなの」
 それへの返答は、ユウにはこう聞こえた。
――イイ。ソノタメニイタ。
 ヴィーシュはふわりとソニカの肩に乗った。ソニカは高度を上げる。
「行くなっ! ソニカ!」
 ユウは弾けるように立ち上がって力の限り跳ぶ。離れていくソニカの足を掴もうと、千切れそうなくらい手を伸ばした。
 だが、その手はむなしく空を掴んだだけだった。ソニカはユウから離れていく。まともに着地も出来ず、ユウは再び地に転がった。ソニカは自分を怒りと悲しみの目で睨みつける兄に、綺麗に笑いかけた。
「ユウ兄、私一人ががんばれば多くの人が助かるかもしれないんだよ。じゃあ、私がどうするべきかなんて、考えるまでもないよね。まだまだ未熟だけど……、これでも私は魔法使いなんだから」
「朝は逃げるって言ってただろ。なのに何で今更そんなこと言うんだよ」
「先に嘘ついたのそっちだよ。これでお互い様ってことで」
 そのままドラゴンを追って西の空へ翔って行った。ユウはそれを追うように走り出す。しばらくも行かないうちに、足がもつれて転んでしまった。
「ふざけんな……! お前はお利巧すぎるんだよ。怖いんだったら逃げろよ。お前は魔法使いの前に、俺の妹だろうが! せめて兄貴に守らせてくれよ……」
 既に闇に溶けたソニカに向かって、ユウは叫んだ。
「お前が犠牲にならなくちゃならないわけないだろ! ソニカーッ!」
 ユウは素早く逃げていた馬を探したが見つからなかった。それでもユウは走った。段々と明るくなっていく西の空を見据え、息を切らし、体力の全てを以て走った。
 疲れ果てて地に膝をつく。汗も涙も止め処なく流しながら倒れ、ユウは気を失った。

 ユウは朝日と共に目を覚ました。朝告げ鳥の鳴き声はまったく聞こえてこない。とっくに逃げたのだろう。
 目を開けてまず視界に飛び込んできたのは、西の空にたなびく黒煙の群れだった。ユウは急いで身を起こす。しかし体中痛く、異常な空腹と渇きであることも手伝い、すぐに転んでしまった。
 それでも全てをこらえ、すぐに立ち上がる。体を引きずるようにして、出来るだけ速く歩く。既に何もかもが手遅れであることを認識しながらも、かすかな希望を胸に秘め、西を、自分の過ごしてきた町を目指す。
 日が昇り、最も高い所を過ぎて、光が赤みがかり始めた頃、ユウはようやく町――町だった場所の入り口に辿り着いた。その辺りはすっかり焼け野原だった。麦畑も野菜畑も等しく燃えた草のカスばかりで見分けがつかない。井戸の石は黒く変色していた。家畜たちは全て炭にされていた。
 おぼつかない足取りで焦げ臭い道を進む。進めば進むほど、瓦礫の山と化した町が鮮明になっていく。
 見覚えのない、歩き慣れた道を、ただ一人歩む。他に動いているものは何もない。音さえも風と瓦礫が崩れるそれしかなかった。
 自然と足が向かったのは、自分の家だった。壁が半分以上なくなり、一階も二階もすっかり露出している。この辺りも焼けていて、家具やらは原形を留めていない。
 一縷の望みを信じ、中へ。
 そして――絶望した。
 二つの真っ黒な人形が、一階の奥の方に、折り重なるように落ちていた。二人の子の帰りを待っていたのだろう……。確かめる気も起きなかった。ただその場に泣き崩れるしかなかった。
 太陽が今日もまた、遥か西の空に沈もうとしていた。ユウは立ち上がった。ソニカはここにはない。もしかしたら、どこかに身を隠しているかもしれない。ユウはふらふらと崩壊した町の中を探し始めた。
 無意識が連れて行ったのはゴレアノの家だった。町から離れているためか、その丘の周辺は被害を受けず、健在だった。頭の中で希望が首をもたげる。
 ユウは家の扉を押し開けた。
 ゴレアノとソニカが、同時に何事かとユウに顔を向けた。
 ユウが僅かに微笑み、中へ足を踏み入れた途端、それらの幻覚は消え去った。代わりに、一冊の本が、あるページで開かれていた。紙には所々円形にぬれた跡があった。ユウはぼやける視界でそれ見た。見出しにはこう書いてあった。
『ドラゴンと融合する禁呪』
 ユウは素早く読み進める。全魔力を以てドラゴンと融合し、その魔力に応じて強大な力を得ることが出来る、というものだった。ユウはようやく、ソニカがヴィーシュを連れて行ったわけがわかった。
 再びソニカを探すため、家を飛び出す。すると瓦礫となった町の向こうに、二つの巨大な何かがあるのが見えた。片方は黒く、もう片方は白い。ユウはそこを目指して力を振り絞って駆け出した。
 道が完全にふさがっている場所を乗り越え、時には迂回し、幾つもの死体を見捨て、荒れた広場となってしまっている場所に到着した。そこには二頭のドラゴンが横たわっていた。地面にはおびただしい量の血が、大きな水溜りを作っている。全てこの二頭のドラゴンが流したものらしい。互いの体は傷ついていない部分がないほどで、黒い方は左翼ももぎ取られている。
 二頭は互い違いになっていた。ユウから見て、白い方は手前側、黒い方は奥側に頭があった。
 ユウは白い方の頭に駆け寄る。赤黒い水溜りの飛沫が足を汚すが、気にもならなかった。
「ソニカ! ヴィーシュ! そうなんだろ? 俺の言ってることわかるか? 聞こえるか? そうだったら何か反応してくれ!」
――何で、来たの……? 逃げてって言ったのに。
「お前たちを置いて逃げられるわけないだろ!」
――……バカ。……ユウ兄、私結局止められなかった。町ぼろぼろになっちゃった。人も、いっぱい死んじゃった。
 念話の声が震えている。ユウは冷たい感触の、ソニカの顔にすがりついた。
「いいよ。お前たちはよくやった。だからもう逃げよう」
――ごめん。もうそれもできない。私もう動けないの。それに、すごく眠い……。なんでだろ。眠るのが、すごく怖いよ……。
 それきり、念話が切れた。開かれた口からは舌がだらんと地面に落ち、呼吸をしている気配は微塵もなくなった。顎に向かってユウは、力の限り拳を叩きつけた。
「何でお前たちまで死ぬんだよ。俺を一人にすんなよ!」
 ユウは慟哭した。大切な者を全て失ってしまったことが、厳然たる事実として頭で認識されてしまったのだ。
――……人の子よ。
 ユウは顔を上げた。頭の中に聞き覚えのある、しかし覇気のない声が響いてきた。
――我が悲しみを理解したか? 人の子よ。
 ユウは憤怒の表情で黒いドラゴンの方に向いた。ドラゴンの体は、今にも止まりそうなくらいゆっくりと、上下に動いていた。
――愛する者を理不尽な名目で殺される、その悲しみを理解したか?
 操られているかのように、ユウは黒いドラゴンの頭の方へ赴いた。その途中落ちていた、恐らくドラゴンに刺さっていたと思われる剣を拾った。重たい剣は、体が疲れきっているにもかかわらず、すごく軽く感じた。
――そんなもので何をするつもりだ。
「お前が……、お前がいたから、ソニカも、ヴィーシュも、ゴレアノさんも、父さんも、母さんも、町の人たちも……」
 奇声を上げながら、ユウは両手で持った剣でドラゴンに襲い掛かった。
「お前が……! お前みたいな奴がいるから……!」
 がむしゃらに振り回される剣は黒い鱗に容易く弾き返される。だがユウはそんなことを歯牙にもかけず、切りかかり続けた。
 ドラゴンは思った。これが復讐というものか。この人の子も我も、同じ。何という空しさだろう。我は、このような下らないことをしていたとは……。これが手向け? 馬鹿馬鹿しい。我が子は、そんな我をどう見ていたのだろうか。
 甲高い音が響き、剣が根元から折れてしまった。ユウは折れた剣の柄を、ドラゴンに向かって投げつけた。
 今度は拳で殴り始める。
「返せ! 皆返せ! 俺から奪ったもの全部返しやがれぇっ!」
 手の皮がむけ、血が流れ出る。最後にユウは吠え、両手を同時に黒い体に叩きつけた。そのまま、膝からくずおれる。
――人の子よ。……ユウ、といったか。聞いてほしい。
 ユウは拒否するように、もう一度拳を打ちつけた。しかしドラゴンは続ける。
――我の最初で最後の、人間にする頼みごとだ。
 ユウはドラゴンを無言で叩き続ける。
――我が言うのもおこがましいが、このような空しいことは二度と起こってほしくない。いくら復讐をしようとも、死んだ者は喜びはしないだろう。ユウの大切な者も。
「そんなことはわかってる! 黙れ!」
――何故我のようなものが現れるのか。それは我らと人が、互いにかかわりを持たずにいるからだ。ユウならば、両者を結ぶ橋となれるだろう。いや、そうなってもらいたい。
 ユウは拳を止める。気力のない声でつぶやく。
「そんなのできない。俺なんかにそんなこと……」
――やる前からそんなことを言っては何もできん。お前の大切な者は、諦めて我から逃げようとはしなかったぞ。
 ユウは息を呑んだ。背後に倒れている白いドラゴンに顔を向ける。
――頼む、引き受けてくれ。……さて、我も眠ることにする。もう限界だ。あぁ、我が子よ。今我もそちらにいくぞ……。愚かな我を許してくれ……。
 慈しむような口調でそういった後、ドラゴンは念話を途切れさせた。ドラゴンの体から、僅かな動きまでもなくなった。
 ユウは白いドラゴンの方へ移動した。血だらけの手で触れるが、当然ピクリともしない。もたれるように、額をつけた。
「……お前たちは、自分にできること、やれるだけやったんだよな……。見習わないとな。せっかく自分にできることがあるんだから、やれるだけやってみるさ。せいぜい見守っててくれ」
 ユウはすっかり日が暮れ、星々が瞬く空を見上げた。涙でにじんだ夜空のはるか向こうで、大切な人たちが微笑んでくれた気がした。

                    《了》