懸命 前編
葉月野 御影



 火山地帯の一角、一頭の巨大な生物が低く物悲しい声で吼えていた。その足元には、その生物の子どもが、無残な姿で臥している。
――子よ……。我が子よ……。
 生物は、少し離れたところに転がっている、人間の一団の残骸を厳しく見下ろした。そして、遥か遠くに望むことのできる人の町を見据えた。
――おのれ、人間どもが。我が深き悲しみを思い知るがよい。
 生物は背中の巨大な翼を振るい、毫風を伴って空を突き進んでいった。
 轟くような咆哮をその生物は上げた。それに呼応するかのように、火山が爆発した。


 太陽が東の山陵から顔を覗かせた。町から離れたところにある鬱蒼とした森から、朝告げ鳥の群れが鳴き喚きながら餌を求めて海の方へ飛んでいく。それを合図に人々の一日が始まる。
 太陽が山から離れる頃になるとほとんどの家で朝食になり、朝食が済めば、めいめいが自分の仕事を始める。
 その時になってもまだ眠っている者もいたりする。
 ひんやりとした石の壁に手をつきながら一人の少女が階段を登っている。目の大きい活発そうな少女の名はソニカ。才能を見出されて魔法を修行中である。二階に到着すると、無造作に一室の扉を開けて入った。
「ユウ兄、ご飯出来たから早く起きてよ。私もうお腹ペコペコなんだから」
 そう言いながら、木のベッドの上の兄、ユウの体をゆする。するとユウはのっそりと体を起こした。髪の短い頭を手で掻き、だらしなく欠伸をする。
「早く下りてきてよ。また勉強する時間減っちゃうじゃない」
 言って、ソニカは階段を下りていった。
ユウは非常に遅い動作でベッドをから立ち、寝巻きから普段着に着替えた。白い半そでシャツに膝までのズボン。この地方の最も一般的な格好だ。
 一階の台所へ行くとソニカが朝食を前に待っていた。両親は今はいない。少し遠方へ商談をしに行っているのだ。帰ってくるのはまだずいぶんと先の予定だ。
 二人は食事を始める。
「よく朝告げ鳥の鳴き声の中で寝てられるよね。耳だけ集中的に年取ってるんじゃないの」
「一回起きて、鳥の声が聞こえなくなってから、また寝てるんだよ」
 寝ぼけているため、思わず口にしたユウの言に、ソニカはにんまりと笑んだ。
「じゃあ、私が起きたらすぐにユウ兄をベッドから起こせばいいんだ。いいこと聞いちゃったなー」
 ユウはハッとし、露骨にしまった、という表情を作った。
「忘れろ。とりあえず忘れろ。俺の幸せを邪魔するな」
「ダメ。私だけでご飯の準備するのなんて不公平だもん。バシバシ働いてもらうよ」
「最悪だ……」

 飯を食べ終え、食器を片付けると、二人は家を出た。
 ユウの家は少し大きな商家だ。ユウは位置づけとしては若旦那となる。しかし父も母も信頼している番頭が店を取り仕切っているので、彼のすることはあまりない。両親は甘いので、これから徐々に店のことを覚えていけばよいと言っている。『これから』がいつからなのかは誰にもわからない。ユウもまだ始めるつもりはなかった。
 そのため暇をもてあますユウは、ソニカと一緒に魔法の修行をしている。とはいっても、ソニカと違ってとある一種の魔法だけであるが。
 暖かい日差しを受けながら白石の道を進んでいく。町の人たちとあいさつや、他愛のない会話を何度も交わした。店の客や、ユウが遊び相手をしていた子供たちとその親、まだ修行中だが『魔法使い』のソニカを慕ってくる人々だった。
 何度か道を曲がる。道は細くなり、人通りは少なくなっていく。やがて石の道が切れて土の道になって、周りの風景が畑や牧場、厩舎になっていった。
さらに行き、木の茂った小高い丘を登ると、広場となった場所の真ん中に一軒の家が建っていた。石の壁には大分蔦が這い、苔もかなりむしている。
 家に近づくと、キィ、という高い鳴き声を上げながら小さな白い生物が二人の前に飛来した。それは人里には本来いるはずもないドラゴンという生物で、名はヴィーシュという。ソニカの魔法の先生が飼っているのだ。
 ヴィーシュは二人の目の前で翼を操って嬉しそうに舞うと、ユウの頭を四肢でつかむように着地した。そのまま赤い水滴のような目を閉じ、尻尾を垂らして気持ち良さそうに眠り始める。適度な重量とひんやりとした体が微妙に快い。
「俺の頭はお前のベッドじゃねえっつの」
「ヴィーシュはそこが好きなんだもんね。ヴィーシュだって女の子だから、大好きな人と一緒にいたいんだよね」
 すると返事をするように、尻尾が一度揺れる。
「念話で話せるようになったら絶対文句言ってやる」
 ユウはそうぼやきながらも、取り除こうとはせずにそのまま建物へ向かった。
「ちわーっす」「こんにちは」
 扉を開けて入る。中はかなり雑然としていた。大量の本が壁際の本棚から溢れて塔を作り、様々の不思議な器具が床などに散乱している。そんな中で白髪の老人が机に向かって何かをしていた。二人に気づくとむっつりとした、しわとひげだらけの顔だけを向け、冗談めかして言った。
「今日も遅刻か。お前さんたちは儂にけんかでも売っておるのか」
「明日からはきっと遅刻しませんよ、先生」
 ソニカはいたずらっぽい笑みで答える。老人は疑わしげな目をする。まったく信じていないのだ。今まで何度も同じ言葉を聞かされていたのだから、それも当然である。
「大丈夫ですよ。もうユウ兄を二度寝なんてさせませんから」
「ゴレアノさん、人の記憶を消す魔法ってないですか……?」
 ソニカの魔法の先生、ゴレアノ翁は、完璧なまでに対照的な二人の態度を不思議に思った。いつもならユウはただふてぶてしくしているはずなのに。
「何があったかは知らんが、早く来れるようになるなら願ってもない。建前だけだが、期待しているぞ。では早速始めようか」
 ゴレアノは自分の机から、四人が座れる大きさの机の方に移動した。ソニカはそれに向かい合うように座る。
「じゃ、俺は外でこいつと遊んでます」
 そう言ってユウは外に出て、近くの木の根元に腰掛けた。頭の上のヴィーシュを両手でつかみ、目の前に持ってくる。眠りを妨害されたドラゴンは、抗議するようにギャーギャーわめく。
「あー、何言ってるかわかんねー。ほんとに何か言ってるのか、これ?」
 ユウはヴィーシュを腰元に置いた。ヴィーシュは鼻息を一つ漏らし、眠り始める。その様子を見て、ユウもあくびをした。産毛のように柔らかな太陽の光と、静かに奏でられる葉擦れの合奏が、その眠気を助長した。
 寝息が二つになった。

 日が最も高い位置に昇った。ゴレアノの家からソニカが午前の授業を終え、昼食のためにユウを迎えに出てくる。そしてだらしなく眠りこけている兄を見つけ、呆れたようにため息をついた。
「ユウ兄、ご飯だよ。起きないとあたしが食べるよ」
 肩をつかんで激しく揺らすと、すぐに反応があった。眠そうに目をこするユウを立たせ、引きずるようにソニカはゴレアノの家へ連行した。
 ユウは自分の昼食をとりながら、ヴィーシュに手ずからえさを与えた。ヴィーシュは嬉々としてそれを食べる。ゴレアノはそれを感心したように眺める。
「よくなついているな。卵のころから世話をしている儂でさえ、手から直接食べさせることはできんというのに。ごく稀にドラゴンから好かれる人間がいるということは聞いたことはあるが、見たのは初めてだ」
「じゃあいっそのこと俺に譲ってくださいよ。ちゃんと世話もしますから」
 ユウは調子に乗って言う。ゴレアノは険しい表情になった。しかしすぐに柔和な顔に戻った。
「それは駄目だ。大切な奴なのだ。それに人の多さが心労となって何をするかわからん」
「ちぇ、残念」
「それよりユウ兄、少しは念話できるようになった? 居眠りするくらいだから余裕だよね? ひと月の間ずっとがんばってるんだもんね」
 意地の悪い笑顔でソニカは尋ねた。ユウはそれから必死に顔をそらす。するとヴィーシュが、ソニカに向かって威嚇するようにうなり始めた。ゴレアノは楽しそうにそれを見ていた。
 ソニカは何か思いついたように手を叩く。
「じゃあさ、クイズしよ。ヴィーシュに何か言ってもらうから、ユウ兄はそれを答えてみてよ。私も一ヶ月くらいでやっとできるようになったし。……それとも、自信ないからやんない?」
ユウは鼻息荒く妹の顔をにらむ。
「安い挑発だが、あえてのってやるよ。どんと来い!」
 三十分ほどが経った。ユウはもちろん、全問不正解だった。
「そろそろ午後の授業の時間だから、これで最後ね」
 ソニカは無言でヴィーシュに向く。念話はその名の通り念じるだけで話ができる。しかも相手が人間でなくとも問題ないのだ。
 ヴィーシュはうなずいてユウを正面から見つめた。ユウはヴィーシュの声を聞こうと目を閉じて集中する。数秒して、ユウの頭の中に途切れ途切れだが、高い声が響いた。
――…………ユウ…………ユウ…………。
 ユウは目を見開いた。驚きと喜びの入り混じった顔になる。耳で聞いたのではない声。それはまさしく念話だった。ひと月以上、少し怠けながらも熱心に聴こうとしていた声が、今初めて聞こえたのだ。そして、わなわなと震える口で歓喜を叫んだ。
「聞こえた!」
「本当に? ヴィーシュは何て言ってた?」
「俺の名前だ。『ユウ』だ!」
 ユウは自信たっぷりに答える。だがソニカは宣言した。
「ぶぶーっ、はっずれー」
「何っ? じゃあ答えは何だよ。確かにそう聞こえたぞ」
 ユウは興奮と、喜びから一変した怒りで問い返す。
「答えは、『夕焼け』でした。でも聞こえたんでしょ? よかったね、ユウ兄。一歩前進だよ」
 ソニカの優しい声に、ユウはすぐ怒りを忘れた。その穴はすぐに喜びの感情で埋まっていく。
「そうだよ、やっと聞こえたんだ。嬉しすぎて泣きそうだ……」
 実際、本人の気付かぬうちに、ユウの目からは涙が流れていた。

 それからおよそひと月が過ぎて、ユウはヴィーシュと会話ができるようになっていた。しかし、どうしても途切れがちで、しかも片言にしか聞こえなかった。
 ゴレアノから念話のコツを教えてもらっていると、外に鳥や森の木々の声を聞きに行っていたソニカが帰ってきた。複雑な顔をしている。
「先生、ちょっと……」
 ユウがいるのに気づき、ソニカはゴレアノに耳打ちした。ゴレアノの片眉が上がり、表情が険しくなった。
「少し出かけてくる。時間がかかるかも知れんが、その間本は好きに読んでくれて構わん。持ち出してもいいぞ」
 そう言い残すと、ゴレアノは外に出て地面に胡坐を組んだ。彼にとって、最も安定して集中できる格好だ。すぐにゴレアノの体が浮き、空の彼方へ飛んでいった。
「どうしたんだ」
 ユウはソニカに聞いたが、ソニカは答えようとしない。そればかりか、本棚から実質的に使用の禁止されている魔法ばかりが載っている魔導書を読み始めた。いつになく必死な顔つきである。
「ソニカ、何でそんなの読む必要あるんだ」
「え……と、先生がいると読ませてもらえないし、前からちょっと読んでみたいなって思ってて」
「鬼のいぬ間に何とやら、か。俺もちょっと読んでみようかな」
 ユウが別の一冊を読もうとしたが、
「ユウ兄が扱えるものじゃないと思うよ。そんなことより大人しく念話の修行したらいいよ。コツ教えてもらったんでしょ? がんばればすぐ普通に会話できるようになるからさ」
「いいだろ、ちょっと読むくらい」
 ユウが少々卑屈気味に反論すると、ソニカは怒ったように返した。
「いいから。ユウ兄は私と違ってドラゴンに好かれるみたいだから、念話だけできればいいじゃない。他の魔法なんていらないでしょ? 覚えたってどうせ使えないし、使う機会もないんだからさ」
「何だよ、その言い草。自分が才能あるからって」
 ソニカははっとして申し訳なさそうに目を伏せた。
「……ごめん。そういうつもりじゃなかった。でもユウ兄は念話の修行だけがんばって。お願いだから」
「……わかったよ」
 ユウは妹の思惑が全くわからなかったが、とりあえず従うことにした。外に出てヴィーシュとたわむれに行く。
 窓から兄の背中を見て、ソニカは泣きたくなった。

 ようやく父と母が商談から帰ってきた。その日の晩は御馳走となったが、ソニカはただでさえ最近暗かった表情を更に暗くした。
 ゴレアノはもう一週間以上帰ってきていない。ソニカは朝から晩まで禁止された魔法の本ばかり読んでいた。ユウはその理由を未だに聞いていない。
 翌日の夜、ユウはその理由がわかった。父が今日町中で、商売仲間から聞いてきた、とあることを口にしたのだ。
「かなり凶悪なドラゴンが人の町を襲っているらしい。それも段々この町に近づいてきてるって話だ。早いうちに荷物をまとめておいた方がいいかも知れん」
 ユウは全速で階段を駆け上がり、自分の部屋で一心に書を読んでいたソニカに詰め寄った。ソニカはユウと顔を合わせないようにする。
「お前、知ってたんだな。だからあんな魔法を……」
「……鳥が話してたの。私は、守りたかったのよ、この町も皆も。だって、私しかいないじゃない。ドラゴンを相手にすることが出来るなんてさ」
 ソニカは涙ながらに言った。
「俺に念話ばっかりやらせたのも……」
「ユウ兄だったらドラゴンに好かれるから、ユウ兄だけでも助かるかもって思ったの。早く先生が帰って来てくれたらいいのに。そしたらあんな本も読まなくてすむのに……。ユウ兄……、私怖いよ……」
 ソニカはユウの胸に顔をうずめて、ずっと泣き続けた。ユウにはそれを抱きしめてやるしか出来なかった。

 翌日からも、ソニカは本を読み続けた。ユウは念話の修行に更に念を入れた。ようやく念話から途切れがなくなった。
 また一週が経った朝、ついにゴレアノが帰ってきた。しかし、服はおろか全身がぼろぼろで、至る所に乾いた血がこびりついていた。ゴレアノは町で一番人の集まる場所に降り立つと、人々に言った。
「ドラゴンが東の隣町を襲った。すぐに、できるだけ遠くへ逃げろ……!」
 そして、ゴレアノはその場へ崩れるように倒れ臥した。
 町中が一斉に逃げ始めた。町中が覚悟と準備を済ませていたのだが、やはり恐慌から来る大規模な混乱が起こった。
 逃げ惑う人々の間をぬって、ゴレアノが帰ったという知らせを聞いたユウとソニカが広場へ駆け込んだ。ゴレアノは数人の、どうしようかと迷っている風の人に囲まれていた。ユウたちを見ると、ゴレアノの言葉を伝えて去った。ソニカはゴレアノを抱き起こす。
「先生、大丈夫ですか! すぐに手当てを……」
「そんなものはいい。どの道助かりはせん。お前たちも早く逃げろ……」
 ゴレアノはかつて見せたことのない厳しい目と声音で言った。ユウはゴレアノの前に膝をついて反論する。しかし、情けない声になるのを抑えられなかった。
「嫌だよ。ゴレアノさんを置いて逃げられるわけないじゃないですか。一緒に逃げましょうよ。馬車に乗せてもらえば……」
「そうですよ、先生。ちゃんと手当てすればきっと……」
 ゴレアノはしわに埋もれた目を、大きく見開き、凄まじい剣幕で怒鳴った。
「いいから逃げろ! 儂は自分が助かりたくて来たのではないのだ! 逃げろ! あれは嵐だ。逃げるしかないのだ。どこまでも、地の果てまでも逃げるんだ……」
 ゴレアノの血のこびりついた手が、ソニカの手を握った。ソニカはそのひどく冷たい手を強く握り返す。
「逃げろ。嵐は過ぎ去り、収まるまで待つしかないのだ。逃げるんだ……」
 そして糸が切れたかのように、ゴレアノの手から力が抜けた。ゴレアノの顔は、安らかというものからは程遠かった。
 ソニカは握り締めた手を、俯いた顔の額に持ってきて涙を流した。
「何で死んじゃうんですか……。まだ教えてもらいたいこととかたくさんあったのに。どうして……」
ユウは、何か悪い夢を見、それを認めたくないように首を横に振っていた。
「そうだよ。何で死ぬんだよ。もっと大丈夫なうちに逃げて来ればよかったのに……」
 ソニカはゴレアノの手を腹の上で合わせるように置いた。手の甲で涙を拭き、何かを決意した強い目で兄を見た。
「逃げよう、ユウ兄。先生の死を無駄にしないように」
「あ、あぁ」
 ユウは戸惑いながら首肯した。ソニカもうなずき返す。
「私はできるだけ町の人が逃げるのを手伝う。できるだけ多くの人に逃げてほしい」
「いいけど、無理はするなよ。できるだけ早めにお前も逃げるんだぞ」
「うん、大丈夫。わかってるから安心して。ユウ兄は先に逃げててね」
 ゴレアノの亡骸を、申し訳なく感じながらその場に横たえ、ソニカは空に浮き上がった。
ユウは立ち上がった。そして考えた。自分が何をできるのかを。
「ソニカ。俺、ヴィーシュつれてくる。父さんたちに先に逃げてるように言っててくれないか。すぐに追いつくから」
 言い残して、ユウはその場を走り去った。
 ソニカはその言葉を信じた。そして一旦家に戻って、親に逃げるように言ってから、行動を開始した。
 空を飛んで避難するよう町中に伝え、混乱の中自力で逃げられない人を馬車に乗せてもらう。それ程広い町ではないが、がむしゃらにやった。
 ソニカが気がついた時には、太陽は最も高いところを過ぎていた。ふと、不思議に思った。ユウの姿を見ていないのだ。ただ見逃しただけだと思ったが、妙に胸騒ぎがした。
 ソニカは空から町中と、逃れる人の列を探し回った。だが、ユウの姿を見つけることは出来なかった。ソニカは東の方角を遠望した。
「ユウ兄のバカ」
 自分がやろうと思っていたのに。ユウ兄には犠牲になってほしくなんかないのに。ソニカは全速で東の空へ飛んだ。